経歴

経歴書
1954年 福島市生まれ
1968年 画家や気に入った画集から絵を見て模写のような事を始める。
1970年 高校の授業でルーベンスやダリの画集を見て刺激を受け、絵を描き始める。
1971年 高校の同級生の家での大量の日本画、浮世絵のコレクションを見て、日本画を志すが伝手が無く、授業で習う油絵を続ける。
1973年 東京で絵を描き始める。油絵を描くか日本画にするかどうか迷う。
1974年 やはり日本画が描きたく伝手を頼りに京都に移る。日本画の伝統的徒弟制度になじめず、退塾。
1975年 東京に戻り、須田寿氏に師事する。
1976年 日本大学芸術学部油絵学科に入学。
1977年 京都の日本画商・交隆社東京支社の下でアルバイトを始める。
1978年 須田氏の数度の海外研修に同行。須田氏の勧めで西洋絵画修復を学び始める。
1982年 日大を退学と同時にパリに居を移す。
1983年 ルーブル美術館で模写を始める。
1984年 模写作品がパリマッチに掲載され以前より知り合っていたルーブル美術館修復主任から声を掛けられ見習いとして手伝い始める。日本の銀座東急デパートで個展1986年まで続ける。
1987年 大阪グリーンアートギャラリーと専属契約を結ぶ。
1988年 長崎のデパートで個展を始め1998年迄活動を続ける。
2005年 再びグリーンアートギャラリーとの活動を再開。
経歴書
1954年
福島市生まれ
1968年
画家や気に入った画集から絵を見て模写のような事を始める。
1970年
高校の授業でルーベンスやダリの画集を見て刺激を受け、絵を描き始める。
1971年
高校の同級生の家での大量の日本画、浮世絵のコレクションを見て、日本画を志すが伝手が無く、授業で習う油絵を続ける。
1973年
東京で絵を描き始める。油絵を描くか日本画にするかどうか迷う。
1974年
やはり日本画が描きたく伝手を頼りに京都に移る。日本画の伝統的徒弟制度になじめず、退塾。
1975年
東京に戻り、須田寿氏に師事する。
1976年
日本大学芸術学部油絵学科に入学。
1977年
京都の日本画商・交隆社東京支社の下でアルバイトを始める。
1978年
須田氏の数度の海外研修に同行。須田氏の勧めで西洋絵画修復を学び始める。
1982年
日大を退学と同時にパリに居を移す。
1983年
ルーブル美術館で模写を始める。
1984年
模写作品がパリマッチに掲載され以前より知り合っていたルーブル美術館修復主任から声を掛けられ見習いとして手伝い始める。日本の銀座東急デパートで個展1986年まで続ける。
1987年
大阪グリーンアートギャラリーと専属契約を結ぶ。
1988年
長崎のデパートで個展を始め1998年迄活動を続ける。
2005年
再びグリーンアートギャラリーとの活動を再開。

芸術共生の大切さ
澄みきったやさしい光が、レースのカーテンをすり抜けて入ってくる。食台の中央、ウオーターグラスの中に一輪ざしの真赤な薔薇の花。私の後ろには、一枚の静物画がかかっている。部屋中を優雅さと暖かさ、希望にあふれた空気が振動して私を包み込む。
高校生時代、ルーベンスやダリに感銘し、気がつけばキャンパスの前で絵筆を握っていた。この頃、日本画や数多くの浮世絵コレクションを連日拝観。日大芸術学部油絵学科在籍後、1982年、フランス・パリに居を移す。翌年、ルーブル美術館にて、アングルの「バルパンソンの浴女」の模写を創める。
その模写作品が、雑誌パリマッチに掲載され、修復部門主任から依頼され捕彩色、修復に従事。
技術力向上の為、アングル「マドモアゼル・リビエール」の模写を描き続け、エマルジョン技法により、質感とも見事一致するまでに至りました。
中世絵画からの「伝統的技術とは何か」と、確認したい思いが今も続いています。

エマルジョン技法

油絵具は、通常油を入れて使用する。油絵の具では、ほとんど画一的な絵画しか表現できない。エマルジョンとは、油絵具にメジウム(有機触媒)を混入させ、水にも溶け込み水彩画のような表現をも可能にする特殊技術である。
日本国内においてこの技術的表現を行っている画家は皆無といえるであろう。中世絵画からの「伝統的技術」とは何かとの思いから、水彩画の持つやさしい流動的表現技法を油絵で完成させるために
必要不可欠なものである。
油絵の具では、完全乾燥するまでに数日を要するが、メジウム(有機触媒)を使用することで、6-8時間で乾燥。 絵画を描く無駄な時間の短縮ともなる画期的技法である。